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2008年10月01日

小雨模様のうす曇

引き続きじぶんのことを少し書きます。

7年前の今日も、こんな小雨模様のうす曇でした。
出産予定日は10月14日。
あと2週間程度で迎えるであろう出産の日のことを、あれこれ思いながら、徒歩45分ほどの実家に顔を出しました。
久しぶりに妹も来ており、なんとなくのんびり昔話など…。

それまで、胃の下側に折り畳み傘でもつっかえ棒にしてあるかのように、お腹が重くて苦しかったのですが、その日の帰りはまるで羽が生えたようにカラダが軽く、どこまでもどこまでも(運河を越えて海の上までも)歩いて行けそうでした。

部屋の片付けはまったくはかどっていませんでしたが、夜、急に紙袋の整理がしたくなり、床に座り込んで延々と溜まりに溜まった大量の紙袋の仕分けに着手。思えばこれがわたしの巣作り行動だったのです。

(つづく)
posted by お産バンザイ! at 12:17| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | ■わたしの場合 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月24日

産後の体調不良は「あたりまえ」か?

「産後だから、仕方がない。」

産後の体調不良は、あたりまえ。
未産の人も既産の人も、多くの人はそう思っているのではないでしょうか。

答えは「否」。かも?
その人のカラダの癖や体質、暮らし方(生き方)などにもかかわることなので、一概にいいとも悪いともいえませんが、わたしの体験的には、そう悪いことばかりじゃありませんでした。

ちょうど7年前に36歳10ヶ月で初出産(妊娠自体も初めて)したのでこの季節の乾いた風がなんだか物思いを誘います。をを、歳がばれるではないの(笑)。ちょっと自分のことを書いてみます。

妊娠した途端、まず極端な香料がダメになりました。マニキュアや化粧品はもちろん、洗濯洗剤やシャンプーのすべてが無香料無添加の素っ気ないものに替わっていきました。KFCみたいな味の濃いファーストフードやインスタント食品、化学調味料の類も舌がべとついたり気持ち悪くなったり。染髪に至っては頭が痛くなる始末で、不思議なことに好きな音楽も好きな色も変わりました。

それと引き換えるように子どもの頃からの、肩こり、冷え性、偏頭痛などがまったくなりをひそめ、生理が再開してからはあれほどひどかった生理痛(トイレに倒れ込みメガネが割れたり)がなくなりました。同じく産後でトラブルに悩む友人の背中や足をさすったりすると「ゆきねさんの手は大きくて温かいね」などと言われるほど。寝不足もまったく平気。夜中に何度も起こされても全然辛くないし、早朝(というかまだ夜中)に自分からおきだして、PC仕事や家事をどしどしこなしてました。体重はすぐ戻り&減りすぎたり、食べても食べても太らないし♪





今思うと、神さまというか、命の力に守られていたのです。


なぜなら、産後1年半でまた妊娠してしまいだらだらとつづいたおっぱい生活がなんとなく終わりを告げた頃から(下の子が3歳半過ぎくらいから)、疲れやすくなりすべての体調不良が戻ってきたからです。更年期の入り口に来たせいもあるのかもしれませんけど、おっぱいの役目が終わりわたしのカラダを経由して子ども達の口になにかが入ることがなくなった事と無関係とは思えません。


というわけで「もはや産後ではない」今は、元通りの太りやすく偏頭痛持ちでマニキュアもKFCも平気になりました。夜も朝も起きられないお寝坊さんに戻ったというわけです。

そうそう、実感として付け加えると、高齢出産はなんということもなかったのですが、高齢子育てはこたえます(現在進行中)。

posted by お産バンザイ! at 12:37| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ■わたしの場合 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月08日

9月9日は救急の日

9月9日は救急の日。
救急の日にちなんで、救急車に思いをはせます。

■東京消防庁 9月9日は救急の日です
 http://www.tfd.metro.tokyo.jp/camp/2008/2008-1130-6/camp09_1.html



救急車にすれ違わない日はありません。
しかも毎日毎日1度や2度でなく。
そのたびにいつも祈る気持ちで、その白い車の後姿を見送ります。
(「どうかまにあって!」)


一度目は、おばあちゃん(わたしの父の母)。
わたしはすでに家を出ていたので、救急隊の方には直接会っていません。
それでも、

・食事中突然倒れたおばあちゃん。
・がんばって冷静に救急車を呼び、わたしに連絡をくれた妹。
・到着時にはすでに息のなかったおばあちゃんに懸命のCPRをしてくれた救急隊のみなさん。(ここまでは想像図)
・汗だくで電気ショックを繰り返す医師。
・唐突に現れる白衣の人。(実は葬儀屋さん)
・連絡のつかない父(居住所不明で携帯がつながらない)。
・父の姉妹弟に頭をさげまくる母。
・そして、その場を冷静に仕切るわたし。

早20年も前のことですが、あの夜の人々の様子は妙に鮮明です。


二度目は、わたし。
救急隊が来てくれた時には、半分はみでてた(み)。
かかりつけの助産師と連絡を取り、その場で分娩介助になりました。

救急隊「奥さんっ、出たよ!!安心してっ!」
わたし「え?出たって、何が?」

なんでもその日は、近所の救急車は出払っていたとかで隣区の消防署から(高輪だったか港南だったか)来てくれたうえに、とおく世田谷まで搬送させてしまいました。(しかも、途中で道に迷った。)

電気が明るすぎないか、冷房が強すぎないか、生まれたばかりの(み)のことをずっと気にかけて、中腰でストレッチャー(とわたしたち)を支えていた隊長さん。きっと全神経で顔色とか全身の状態を見守ってくれていたのでしょう。

救急車を運転している隊員さん「隊長!急ぎますか?!」
隊長「いや…、普通でいい。」

わたしに限って言えば、貴重な救急車をタクシー代わりに使ってしまったようで、結果として申し訳ない限りです。

お産は病気ではない、病気ではないからこそ怖い。という産科医がいます。わたしとて、たまたま胎盤が癒着していたりしたらまた別の事態もありえたかと思うと、今ここにいることのありがたさを改めて思います。

最近みつけた救急救命士さんのwebサイト
■パラメディック119
 http://www.paramedic119.com/


このときの教訓(陣痛の間隔が不定期のまま、いきなり分娩になる体質?!)を踏まえ、第二子(ゆ)のときは、がんばってタクシーに乗りました。このときのタクシーさんにもご心配おかけしましたっけね。本当にありがとうございます…。

以下は余談です。
posted by お産バンザイ! at 16:02| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ■わたしの場合 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年12月05日

胎盤さんのこと

(ゆ)が生後36カ月を迎えました。わたしにとっても、命の記念日です。

 

ずっと書きたかった胎盤さんのこと。

 

(み)の妊娠中ずっと、胎児だった(み)と子宮と胎盤さんとわたしで、楽しく暮らしてきました。

 

(み)が生まれわたしと分離したとき、わたしはわたし、子宮はわたしのナカミ、でも、胎盤さんだけが廃棄物としてバイバイなのは、 どうしても耐えられませんでした。多くの人にはこんな心境は奇異に思われるかもしれませんが、あまりにも別れがたい想いにとらわれ、 助産師さんと母親にその旨を相談しました。一応内臓なのでその辺に放置しないこと(処分に困っても、一般ゴミには出来ません。)を約束し、 胎盤さんも一緒に帰宅することになりました。

 

胎盤さんはずっと以前は、神聖なものとして(または穢れのものとして)恵方に埋めたり、祀ったりする風習もあったそうです。 田舎育ちの母親は、そういえば昔は田舎でも…とそれを思いだし、母親の実家の庭をあたってくれるという提案をくれたのですが、 それもいろいろあってあてがなくなり、(み)の胎盤さんはうちの冷凍庫のなかでしばらく一緒に暮らすことになりました。

 

産後のいろいろや育児の慌ただしさの中で、埋もれていく出産時の不思議感覚(あえて、「感動」とは書きません)。でもいつもどこかに、 胎盤さんのことがひっかかっていました。どこかに埋めてあげたくても、持ち地面のないわたし。オットの実家は持ち家ですが、 この都会のどまんなか1平方ミリメートルの土だってないのです。狭くて暗い冷凍庫のなか、ここが居場所とは思えない。 いつまでもそこにおいておく結果になり、かえって気の毒なことをしてしまったのかも。

 

 

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posted by お産バンザイ! at 06:21| 東京 ☁| Comment(0) | ■わたしの場合 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月30日

助産師さんは通訳さん

おっぱい話の続きです。

「この子には、ミルクを飲ませましょうね。」「やっぱり…ミルクを足さないとダメなんでしょうか。」「まず活力を与えてやらなくちゃ。 わたしに出来る限りのお手伝いをしますから、頑張って!」というやりとりがあり、1〜2週に一度の母乳相談所通いが始まった。 Wさんはオットの当時の職場であったスポーツクラブで、マタニティスイミングの世話をしていて、ベビースイミング担当のコーチから、 その人柄は聞いていた。ただ電話する勇気がわたしになかっただけ…。(これもしばらく悔やまれたっけ)

 

その後(み)はWさんの指導のもと、ちびちびミルクをたしながら1日10回以上おっぱいをやるという作戦 (今思うとこれはこれでと〜っても大変だったのだけど)で、4カ月健診までの1カ月ちょっとで、標準値に入るほど成長。 乾いた大地に水がしみこむ様ねとはWさんの弁。でも(み)は吐きやすく、あぁせっかく飲んだのに…と戻したくなること度々だった。 いろんな人に聞いてみたけど、みんなの答えは「赤ちゃんってそういうもの」。いつどういうタイミングで、どのくらい、どういう風に吐くの? と聞いてくれたのは、Wさんただ一人だった。

 

助産師さんは、赤ちゃんに不慣れな母親にとって通訳さんに等しい。マッサージ中に泣く(み) の為に手を止めて「そうなの、そうなの。助けて助けて〜って言ってるのね〜。」と抱き上げたときのまなざし。仕事の話、オットの話、 お姑さんの話、他愛もない話をうんうんと聞いてくれて、背中をさすってくれた手のあたたかさ。忘れることはありません。

 

 

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posted by お産バンザイ! at 01:00| 東京 🌁| Comment(0) | ■わたしの場合 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月29日

おっぱいの涙

なかなか自分のことは書けず(爆)、過去に公開してた文章が出てきたもんでこれを思い切ってアップします。 なんとすでにお産は終わっていて(笑)、産後の赤ちゃん(み)との暮らしから始まります。のちに熊手さんに、「ゆきねさんは、 お産じゃなくておっぱいにひっかかりがあったのね。」と言われて初めて、おおそうか、ひっかかっていたのか、とやっとわかりました。 自然分娩にはおっぱい育児がつきもの?ですが、ここがつまずくと自然育児界(苦笑)では結構ツライかもしれません。

 

もちろん人工乳は最後の手段、めんどうだから〜と安易に切り替える(3カ月健診の時、こういう声が結構聞こえた)のは絶対反対ですが、 おっぱいケアに関するサポート体制を産前からよく考えておけると良かったのかもデス。ちなみに(み) のときにわたしがお世話になった助産院は、母乳退院率100%近くというデータを公表していたしマタニティクラスも充実していたのです。 「心配になったら、いつでも気軽に電話してきてね」と言ってくれていたので、退院後放りだされるかのごとくフォローのないトコロよりは、 夢のようにいいはずでしたが、産後ちょくちょく顔を出すには遠かったことと、わたしが人とのコミュニケーションをとるのが苦手だったために、 結局うまくいきませんでした。 買い物のついでに世間話をしに立ち寄れる… そんな心の距離感が必要だったのだと思います。

 

結局、(み)は3ヶ月から混合哺育になっていくのですが、それがどんなに大変だったかは、2年後(ゆ)がやってきて、人工乳首& 人工乳拒否というやつをやってくれて、なんとなく?母乳100%育児をしてみて初めてわかりました。では、昔の駄文をごらん下さいませ。 長いです。

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posted by お産バンザイ! at 19:10| 東京 🌁| Comment(0) | ■わたしの場合 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月15日

それに至るまでの日々

子どもが欲しいという人の気が知れない
このお先真っ暗の時代に、ただカワイイからとかいう自己満足だけで、新しい命を世の中に送り出すのはあまりにも無責任。そう思ってた。

20代の頃から、予防的に鎮痛剤を大量に飲みながら連日の深夜残業。ああ、女ってめんどくさい、なんにもいいことないじゃんねぇ。30代に突入しパートナーも替わり、それなりに暮らし向きも安定してきた頃にはもう興味すら湧かなかった。できれば子どもが欲しいというパートナーを、「そう簡単に言ったって、結局大変なのはわたしなのよ?!何の権利があってわたしの自由を奪うワケ?」と一蹴していたのである。

子どもを持つことによって失われるモノにばかり目がいき、得られる広がりや、かけがえのない豊かなモノを、この頃はまったく知らなかった


今となってよく考えれば、「時代」もあったし、わたしが育ってきた家庭環境にもいろいろ問題があった。なにしろ子どもの頃から、「オンナコドモのすること」はすべてくだらないと思い、見下し、2次性徴には吐き気すら覚えたわたし。それが自分と親との関係に起因しているとは…。(子ども思いの普通の親なんですけどね。)
posted by お産バンザイ! at 02:32| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | ■わたしの場合 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月10日

はじめての出産は、36才10カ月。

はじめての出産は、36才10カ月。助産院での水中出産を楽しみにしていたのに、子どもはあっというまに自宅でつい生まれてしまいました。
それに至るまでの日々と、それからの日々をぼちぼち思い出しながら(忘れないウチにわーい(嬉しい顔))つづります。
posted by お産バンザイ! at 04:21| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ■わたしの場合 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
 
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マル高って何?いつまでも若くとは望まないから、「年齢不詳」でがんばるぞ〜!
名前:多田野ゆきね
年齢:東海道新幹線
かぁさんたち

しながわ在住歴はながいのですが、子どもが複数になるまでは、ほとんどただ寝に帰っていただけのオヤジ系。出産体験で生まれ変わりました(笑)。 趣味:ドルフィンスイム、うた、ふて寝、お産。 特技:早食い
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動作未確認(笑)

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